別棟備忘録4

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お寺、仏像基礎知識(2007.11現在)

      2015/10/25

お寺、仏像を巡る上での最低限知識を簡単に備忘録。

お寺について

・お寺の金堂(本尊等の仏像が納められる)、仏塔(仏様の骨である仏舎利を納める)、講堂、中門、南大門等の建物を括って伽藍(神社の「境内」に対応する語)、そしてその配置を伽藍配置という。

・伽藍配置は次代と共に変遷する。大まかに言えば、古くは仏舎利を拝むべく仏塔が伽藍の中心にあったが、時代が下るにつれて仏塔は中心から外れ、2本になり、最後は南大門の外に出る。
山間部の寺院では、自然環境に適応し伽藍配置が崩れている。また、京都の寺は伽藍配置云々というより、全体が庭園のようになっている印象がある。
memo:京都は応仁の乱でいったん荒廃している…とすれば、多くの寺院が戦国大名等々を後ろ盾として再興された、と考えるべき?庭園が目立つのは侘び寂び禅の影響か?

・寺の設立の経緯はまちまちであるが、「後ろ盾を失い、危機に陥る。」「誰かの支援の下、誰かが勧進し、復興。」「寺領や荘園を後ろ盾に栄え、力を持ち、僧兵で武装する。」が、「兵火、火災や地震で建物を失う。」「廃仏毀釈で危機に陥る。」といったお決まりのパターンがある。そういった経緯は、入場券売り場でもらえるパンフレットに詳しい。

仏教について

・仏教伝来は6世紀中頃。当初は専ら仏教で国を治める、といった政治色が強い。悪い事が続いたので大仏を建立する、といった発想がその典型である。
それが9世紀の最澄、空海による密教の輸入によって「修行」が広く行われ始め、毛色が変わる。

・当初は現世での救済を求めるものであった仏教信仰が、11世紀の末法の世突入あたりを境にして来世での救済、往生極楽を求めるものに変わっていったようである。

・南無(なんとか)の南無は、当て字。原義は、「深く帰依する、頭を下げる」といった具合らしい。つまり、浄土真宗の南無阿弥陀仏は阿弥陀仏に帰依する。日蓮宗の南無妙法蓮華経は妙法蓮華経という経典に帰依する、という具合である。

仏像について

仏像はとにかく如来と菩薩を押さえておくべし。

如来
悟りを開き、世を救ってくださる、あるいは極楽浄土を照らしておられると考えられている存在。いわゆる、仏様。以下の四つの如来を四如来といい、日本では古くから信仰されてきた。

阿弥陀如来
西方極楽浄土、つまり、あの世に住まうとされる、如来の代表格。他の仏も如来の力無くしては悟りを開くことができないとすらされる、他を圧倒する力を持つ仏。
なお、余談であるがいわゆる他力本願とは、阿弥陀如来に救済を願うスタンスを指す。即ち、それ以外のものに救済を求める全ての行いを自力本願というらしい。浄土教の普及で広く信仰されるようになった。

仏像の時代が古いと座っており、下るにつれて立ち上がる。

極楽浄土を再現した中尊寺金色堂ではその中央に位置する。その他、鎌倉の大仏(座像)牛久大仏(立像)等が有名。

釈迦如来
唯一実在した仏。いわゆるお釈迦様。修行中の姿で仏像となっている場合が多いらしく(それでは菩薩でないかと思ってしまうが)、格好は粗末である。
有名なものに法隆寺金堂釈迦三尊像の中尊がある。
2010.10追記:釈迦三尊とよばれる場合、多くは「実在した釈迦の弟子」といわれる文殊菩薩と普賢菩薩を従える。文殊菩薩は非常に頭がいいようで(巻物(知そのものの象徴)と剣(研ぎ澄まされた知の象徴)を持つ)「三人寄れば文殊の知恵」の語源ともなった。らしい。

大日如来
密教の最高仏。曼荼羅の中央に多く描かれる。他の如来と異なり、さまざまなものを身につけておられるのが特徴。

薬師如来
東方浄瑠璃浄土に住む、とされる。基本的に布一枚でなにも持たないのが如来であるが、薬師如来は手に薬壷を持つ場合が多い。
薬師寺薬師三尊の中尊が有名。

菩薩
悟りを開いた如来に対し、未だ悟りを開くに至らない段階にあるものが菩薩であるらしい。基本的に布一枚の如来(大日如来は別)と比べて、菩薩が何らかの装飾品を身につけているのは、彼が煩悩を捨てられない為である。(なお、彼と呼んだが菩薩に性別は無いらしい。)

菩薩は種類が多いが、とりあえず以下の三つは最低限。

弥勒菩薩
56億7千万年の修行の後に全世界を救うとされる(どうやら、世を救う気はあまり無いらしい)菩薩。修行が終わった姿を想像して作られた弥勒仏の像もあるらしいが、修行中の姿をしている菩薩が一般的。
余談だが、法隆寺で弥勒菩薩像と対面してみるとどこかくつろいでいらっしゃる様子であり、本気を出せばもっと早く修行を完遂できるのではないか?と思わず余計な詮索を入れてしまった。

2010.10追記:弥勒仏は非常におおきいと考えられていたらしく、破壊されたバーミヤンの大仏はその等身大像らしい。

地蔵菩薩
弥勒菩薩が修行している間、世の中を救ってくださるとされる菩薩。所謂お地蔵様。
賽の河原で虐められる子供を救うと考えられ、また、善悪の別なく万民を弱者から救うと考えられた。各地に数多くのお地蔵様があるのは、そうした特性が信仰を集めた結果と考えられる。
菩薩であるが、服装は質素な場合が多い。杖を持っておられる事が多いのも特徴。

観音菩薩
最もポピュラーな菩薩。時代を問わずとにかく幅広い信仰を集めた。また、千手観音や、十一面観音、馬頭観音、如意輪観音…といった具合に多くの姿を持つ。

興福寺の千手観音菩薩像や、法隆寺夢殿救世観音像、室生寺十一面観音像等国宝も数多い。
2010.10追記:多くの観音のうち古くから信仰を集めた十一面観音。通常の面のほかに、頭上に修業中の様々な表情を表す十面が並び、その上に悟りを開いたあとの如来となった顔が乗っている。仏頂面とはその面の無表情さが語源とのこと。

天部
インドにもともとあった信仰の対象が仏教と結びついたもの…と聞いた事がある。

梵天
天部を代表する存在。菩提樹の下で悟りを開き、七日間思い出し笑いにくれた釈迦に教えを大衆に広めるように勧めたらしい。

吉祥天
梵天につぐ、あるいは肩を並べる存在。女性として表現され、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王を従える。

(2010.12.16追記)memo:
蔵王権現
修験道/山岳信仰の信仰対象。
役の行者が千日の修行の末お出ましになったのが釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩であったが、3者のあまりの「やさしい」お姿に、「…もう少し、猛々しい方にお出ましいただきたかった…」と本音を漏らすと、3者いったん御退がりになり、代わって現れたのが3体の蔵王権現であったという。片手を上げ、片足で立つ場合が多い。その表情も非常に猛々しく、どこか本当に怒っておられるように見える。(一千日の修行を見守り、満を持して登場したが期待外れだと言われたら、菩薩如来とはいえ気分を害しても道理ではある…。)
金峯山寺蔵王堂にはこの縁起に由来する3体の蔵王権現が安置されている。「日本最大の秘仏」といわれ、「慶事があったときに」開帳される。「権現」には「仮に現れた」との意味があり、蔵王堂の裏手には本来の姿の釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩を安置する「本地堂」がある。

蔵王権現は神仏一体のため、神仏分離令では窮地に立たされ、廃仏毀釈の難を逃れるべく神社に改められた寺院もあったという。

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