東レFile2「2次審査」
2016/02/18
ほとぼりが冷めたころに、第1話から3年半ぶりの続編。
1次審査の結果通知
「1次審査の結果は12月下旬に通知する。」とあるが、1次通過の書類が届いたのは11月下旬。校長宛の文書が職場の机上に置かれていた。「年明けに行われる2次審査(@新浦安の東レビル)に来られたし」と。
ただ、とにかく突然の通知であったことや、本業がまさに佳境を迎えているときであったことから、「1次通過」の感傷に浸る余裕は全くなかった。
財団からは2次審査の要綱の他に、前日準備、前泊の希望の有無や、前日発送荷物の有無と荷その数、最寄駅、プレゼンテーションの際に必要となる物品(電源など)の希望を調査する書類が届く。
すぐに準備に取りかかることができれば良かったのだが、12月は推薦の合格発表や一般入試に向けての補習、面接練習等もあり、ほとんど発表の準備ができず。頼みの綱であった正月休みも39度の熱に倒れ、全くと言っていいほど有効な準備ができなかった。
結局年が明けてから大急ぎで荷物の準備。電源装置やターンテーブルなどかなり大がかりとなり、巨大な段ボール箱探しに奔走。ぎりぎりで東レビルに送った。
なお、当時このようなチャレンジの時には、富山県でのその道の先輩”K先生”にアドバイスを求めるのが常であった。しかし、このときに限って「こっそりとやりたい」という思いが先に立ってしまい、連絡することなく前日準備-当日を迎えることになった。
2次審査の前日
前日準備の為に東レビルへ。
広い会議室のようなところに180×60cm程度のキャスター付きの机が置かれており、パーテンションで仕切られた隣の部屋(審査室)に机ごとガラガラと移動させてプレゼンテーションに向かうことになる。机の数は16個であったので、多分4作品が理科教育賞、4作品が奨励賞・佳作か…と勝手に考えていた。
いざ準備をしてみると、実験装置が机に載りきらず四苦八苦。2次審査要綱に机のサイズが書いてあるので、一度同じサイズの机でレイアウトを考えたほうが良かった。
→こちらの方のブログhttp://tovu3110.blog19.fc2.com/blog-entry-176.htmlには、控室の様子の写真が公開されている。
どうやら書類の記入法を誤解し、プロジェクターや電源コード、ホワイトボードを使うことが伝わっていなかったが、すべてその場で親切に対応していただくことができた。(事前の電話対応等も非常に親切で、「1次通過で2次審査に臨むことができる」ことに負担感なく前向きに取り組むことができたと記憶している。)
ただ、パーテンションで仕切られた翌日の審査会場をのぞき見ることは厳禁であった。2次審査に臨む方のうち前日準備に来ておられたのは半分弱で、会場はがらんとしていた。
ただ、当日最も衝撃的だったのは会場にK先生が「事前準備」に現れたことある。
K先生は過去に東レ本賞を1度、佳作を1度受賞されている。直近の佳作受賞は2009年であるから、当時まだ「一昨年の出来事」であり、まさか前作からこんなに早く新作を準備されるとは想定外であった。(正直、応募しておられることを知っていたら1年待っていたと思う。)また、会場には同じく富山県の物理教員であったA先生も来ておられた。今回高校物理で1次審査を突破した4名のうち、3名が顔見知り…というなんとも奇遇かつ「やりにくい」シチュエーションであることが判明したわけである。
審査当日
審査は9時40分からはじまる。この年は高校物理からだったのか、富山県からだったのか、1発目からK先生-私-A先生-…の順であった。パーテンションの向こうからK先生の軽妙なトークが若干聞こえてきて余計に緊張。時間は質疑応答含めてひとり20分。時間に合わせて来られる方、終わったので帰られる方など様々。控え室にはやはり緊張感があったが、待ち時間の間には互いに実験の内容を紹介し合うなど和やかな雰囲気もあった。
プレゼンテーション
審査室への出入りのすれ違いにK先生から頑張れと激励。
冒頭審査員の方々にWiiを知っている方…と問いかけ、挙手を求めたが、手はほとんどあがらなかった。その為、結果的に持ち時間の大半がWiiの説明や原理の説明に費やされ、実験をすべて披露できなかったことが後になって大変悔やまれた。細かいところで実験失敗もあったのは事前準備の不足。このプレゼンテーションの出来は大きく結果を左右するようである。振り返れば、発表時間の8.5割くらいの内容に留めて完成度を高めるようにすれば、発表もまとまっただろうし、自分自身ももう少し申請内容について理解を深めることができたかもしれない。
質問はかなり専門的な事が問われた。当然と言えば当然だが、「高校の理科の先生の集まり」である全国理科教育大会等での質問とはかなり違い、誤差論や、赤外線と熱の関連性など多岐に及ぶ鋭いものであった。申請内容の”背景”にあたる事項の理解は深めておいて損はない。
「本番に弱い」ことを改めて自覚。荷物を係の方に託し、気を取り直して「個人的東京研修」へ旅立った。
→つづき 東レFile3「結果通知」
2012/9/15頃 備忘録の書留
2016/1/09 再発見。再構成して公開